
天保6年(1835年)、島津家の分家のひとつ・今和泉島津家に生まれた篤姫は、嘉永6年(1853年)に、島津家当主・斉彬、安政3年(1856年)には、近衛忠煕の養女になった後、22歳にして江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室として迎えられます。しかし嫁いでから約一年半後、病弱だった家定が亡くなり、篤姫はわずか23歳で落飾して、「天璋院」と号しました。
その後は、将軍の跡継ぎをめぐる幕府内の権力争い、さらには篤姫の故郷・薩摩藩を中心とした討幕運動の激化など、明治維新の動乱の中、大奥を預かる統帥として新しい日本の幕開け、徳川家存続のために力を尽くしていきます。
慶応4年(1868年)、江戸城に迫る西郷隆盛ら薩摩藩を中心とした新政府軍に働きかけ、江戸城無血開城の実現にも大きな役割を果たし、明治維新後は、徳川宗家を継いだ家達らの教育に専念し続け、生まれ故郷・鹿児島の地は再び踏むことはありませんでした。
篤姫写真:尚古集成館所蔵※画像は許可なく転載を禁じます。
平成20年の大河ドラマで注目の篤姫が生まれ育った鹿児島には、仙巌園(磯庭園)、鶴丸城跡(黎明館)、石橋記念公園、今和泉島津家本邸跡など篤姫にまつわる史跡や観光スポットが満載。 また平成20年1月には、大奥での篤姫の部屋の再現やドラマの衣装・小道具などを展示している篤姫館がオープンし、連日、多くの観光客でにぎわっています。

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